951: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/22(水) 01:18:03.28
俺は親父を3歳の頃事故で亡くして母子家庭で母はキャリアウーマンとして毎日忙しく働いていた
なので母方の祖母に預けられていた
母はそれなりに重役だったらしく金持ちではなかったが金に不自由はしてなかった
ここまでが前提
なので母方の祖母に預けられていた
母はそれなりに重役だったらしく金持ちではなかったが金に不自由はしてなかった
ここまでが前提
嫁と出会ったのは小学生の時
小さい学校で学年は50人ほどなので全員を覚えるのはすぐ
嫁もそのうちの一人だった
小学3年生の頃、学校からの帰宅途中、雨の中ダンボールを覗く嫁を見つけた
気にはなったが引っ込み思案だった俺はそれをスルーしようとしたんだが、ダンボールをよくみるとそこには子猫が3匹
その子猫が雨に濡れないよう嫁は傘をさしていたようだった
俺に気づいた嫁は俺に子猫が濡れないよう傘をさしておくことを指示し、嫁家に帰りミルクを持ってきて子猫に与えていた
子猫はしばらくして俺達に声をかけたおばちゃんが引き取っていった
それから嫁の優しさが気になり始めた俺は自然と嫁に目がいってしまい気づいたら惚れていた
馬鹿な俺は何も考えずに告白
「あなたの為なら何でもします!付き合ってください」とクサイ台詞を言った
嫁は「えー(笑)」みたいな反応だったと思う
よく覚えていない
小さい学校で学年は50人ほどなので全員を覚えるのはすぐ
嫁もそのうちの一人だった
小学3年生の頃、学校からの帰宅途中、雨の中ダンボールを覗く嫁を見つけた
気にはなったが引っ込み思案だった俺はそれをスルーしようとしたんだが、ダンボールをよくみるとそこには子猫が3匹
その子猫が雨に濡れないよう嫁は傘をさしていたようだった
俺に気づいた嫁は俺に子猫が濡れないよう傘をさしておくことを指示し、嫁家に帰りミルクを持ってきて子猫に与えていた
子猫はしばらくして俺達に声をかけたおばちゃんが引き取っていった
それから嫁の優しさが気になり始めた俺は自然と嫁に目がいってしまい気づいたら惚れていた
馬鹿な俺は何も考えずに告白
「あなたの為なら何でもします!付き合ってください」とクサイ台詞を言った
嫁は「えー(笑)」みたいな反応だったと思う
よく覚えていない
952: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/22(水) 01:19:45.78
普段無口で浮いていた俺が嫁に告白したことは小さい学校で一気に広まり小学生のかっこうの餌に
俺はイジメの対象になった
イジメの内容はテンプレ通り
嫁も「キモいw」と俺をイジメていた
それでもバカな俺は告白の内容通りに嫁の言うことには従うようにしていた
トイレの床にうつ伏せになったり、自分の上履きを池に投げ込んだ後、池に入り取りに行ったりしていた
出来の悪い俺は先生にも嫌われていたのかイジメは黙認されていた
幸いなことに教科書や服にイタズラはされなかったので母や祖母にバレるようなことはなかった
しかし田舎だったので中学になっても学年のメンバーに変化はあまりなくイジメは激化
体に痣ができるのは毎日で、今だに根性焼の跡が残っていたりする
一番キツかったのがその頃嫁と付き合いだした彼氏との行為を見せられた時
うぶだった俺にはショックで何度も吐いた
それでも嫁の言うことに従うことはやめなかった
中学2年の二学期
嫁の命令により学校の3階から飛び降り入院
それで母と祖母にイジメられていたことがバレて転校
あの時の母の泣き顔は今だに覚えている
俺はイジメの対象になった
イジメの内容はテンプレ通り
嫁も「キモいw」と俺をイジメていた
それでもバカな俺は告白の内容通りに嫁の言うことには従うようにしていた
トイレの床にうつ伏せになったり、自分の上履きを池に投げ込んだ後、池に入り取りに行ったりしていた
出来の悪い俺は先生にも嫌われていたのかイジメは黙認されていた
幸いなことに教科書や服にイタズラはされなかったので母や祖母にバレるようなことはなかった
しかし田舎だったので中学になっても学年のメンバーに変化はあまりなくイジメは激化
体に痣ができるのは毎日で、今だに根性焼の跡が残っていたりする
一番キツかったのがその頃嫁と付き合いだした彼氏との行為を見せられた時
うぶだった俺にはショックで何度も吐いた
それでも嫁の言うことに従うことはやめなかった
中学2年の二学期
嫁の命令により学校の3階から飛び降り入院
それで母と祖母にイジメられていたことがバレて転校
あの時の母の泣き顔は今だに覚えている
953: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/22(水) 01:22:16.62
転校したはいいが俺はだんだん学校へ行かなくなりしまいには不登校になった
それでも母も祖母も何も言わず、家事を手伝う俺によくお礼を言ってくれていた
母からの強い要望により進学することになり通信制の高校に通うことに
高校に行きながらバイトに明け暮れていた
友達もいなかった俺はバイトをして、祖母と家事をして、母を労ってと毎日を過ごしていた
しかし高校3年の頃、母が事故で亡くなった
相手の居眠り運転だった
祖母が相当落ち込んでいたので自分がしっかりしなければと思い、高校を辞めて就職することを考えた
そのことに祖母はすごく反対した
母にあの世で合わせる顔が無くなる、お前は絶対大学まで行けと
その時に初めて知ったのだが母は相当稼いでいたようで進学資金と当分の生活費は母の遺産だけで賄えそうだったので、死んだ後まで母に甘えさせてもらうことにした
実家から通える公立大学に進学
体が悪くなってきた祖母の面倒が見れるようにと地元の大学にした
そこで気のいい先輩と知り合い、その先輩が代表のサークルに強引に参加させられるようになった
(真面目そうな俺に勉強の手助けをしてもらうためだったらしいw)
本当に気が合う先輩でなぜか向こうにも気に入ってもらえ、
「サークルも来れる時だけ来たらいい、飲み会にも来るなら俺が奢ってやる。他のメンバーには内緒なw」と言ってもらえた
引っ込み思案な俺に友達ができるようにと配慮してくれたんだと思う
それでも母も祖母も何も言わず、家事を手伝う俺によくお礼を言ってくれていた
母からの強い要望により進学することになり通信制の高校に通うことに
高校に行きながらバイトに明け暮れていた
友達もいなかった俺はバイトをして、祖母と家事をして、母を労ってと毎日を過ごしていた
しかし高校3年の頃、母が事故で亡くなった
相手の居眠り運転だった
祖母が相当落ち込んでいたので自分がしっかりしなければと思い、高校を辞めて就職することを考えた
そのことに祖母はすごく反対した
母にあの世で合わせる顔が無くなる、お前は絶対大学まで行けと
その時に初めて知ったのだが母は相当稼いでいたようで進学資金と当分の生活費は母の遺産だけで賄えそうだったので、死んだ後まで母に甘えさせてもらうことにした
実家から通える公立大学に進学
体が悪くなってきた祖母の面倒が見れるようにと地元の大学にした
そこで気のいい先輩と知り合い、その先輩が代表のサークルに強引に参加させられるようになった
(真面目そうな俺に勉強の手助けをしてもらうためだったらしいw)
本当に気が合う先輩でなぜか向こうにも気に入ってもらえ、
「サークルも来れる時だけ来たらいい、飲み会にも来るなら俺が奢ってやる。他のメンバーには内緒なw」と言ってもらえた
引っ込み思案な俺に友達ができるようにと配慮してくれたんだと思う
954: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/22(水) 01:23:51.62
そのサークルで嫁と再会した
以前住んでいた場所とはだいぶ離れていたとこなのでびっくりはしたが、昔のことだし家も母が亡くなってから時間も浅かったので嫁のことを気にする余裕もなかった
しかし嫁は違ったようで俺を避けるようにしていた
嫁は美人で明るく、すぐにサークルに溶け込んでいた
俺は祖母のこともありたまにしか飲み会に参加しなかったが、先輩に気に入られていたためいろんな人と話す機会ができ、サークルのメンバーも素敵な人が多く友達がたくさんできた
そんな感じで大学生活を過ごしていたある日、飲み会で嫁の一人暮らししているアパートと俺の実家が近所だということがわかり、嫁をアパートまで送ることになった
その場の空気もありお互いに断ることもできず二人で帰ることになった
みんなと別れた後、お互いに無言で駅に向かい電車にのった
先に口を開いたのは嫁
「昔のこと覚えてる?」だったと思う
覚えてると答えると、あの頃のことを謝られた
本当にごめんなさい、どうかしていた
謝って済むことではないけど、本当にごめんなさい、と
俺は昔のことだし気にしてない、みたいなことを答えたと思う
実際そうだったし
そのあとは当たり障りない会話をしながら嫁をアパートまで送ってさよならした
それから嫁とも普通に会話できるようになっていた
それに嫁は弁当を作ってきてくれるようになった
最初は断っていたのだが、受けとるだけ受け取ってほしい、捨ててくれてもかまわないと渡されたので、断るに断れなかった
ただ誰に対してもだが恋愛感情は皆無でバイトと勉強と家事が忙しく、精神的に余裕がなかった
たまの飲み会を息抜きにしていた
嫁の弁当も罪悪感からだと思っていた
大学1年目の終わり頃、祖母の体調が悪くなり入院することになった
母の金も無くなりはじめたのでバイトを増やし、大学にバイトに病院と本当に忙しくなった
サークルメンバーは俺を心配してくれ、勉強面でのサポートをしてくれていてすごく助かっていたのだが、その中でも嫁には本当に助けられていた
祖母のお見舞いに付き添って来てくれることもあり、気づけば嫁一人でお見舞いに行ってくれるようになった
祖母は俺に友達ができたことにすごく嬉しそうにしていた
(この時点でも俺にとって嫁はただの友達)
以前住んでいた場所とはだいぶ離れていたとこなのでびっくりはしたが、昔のことだし家も母が亡くなってから時間も浅かったので嫁のことを気にする余裕もなかった
しかし嫁は違ったようで俺を避けるようにしていた
嫁は美人で明るく、すぐにサークルに溶け込んでいた
俺は祖母のこともありたまにしか飲み会に参加しなかったが、先輩に気に入られていたためいろんな人と話す機会ができ、サークルのメンバーも素敵な人が多く友達がたくさんできた
そんな感じで大学生活を過ごしていたある日、飲み会で嫁の一人暮らししているアパートと俺の実家が近所だということがわかり、嫁をアパートまで送ることになった
その場の空気もありお互いに断ることもできず二人で帰ることになった
みんなと別れた後、お互いに無言で駅に向かい電車にのった
先に口を開いたのは嫁
「昔のこと覚えてる?」だったと思う
覚えてると答えると、あの頃のことを謝られた
本当にごめんなさい、どうかしていた
謝って済むことではないけど、本当にごめんなさい、と
俺は昔のことだし気にしてない、みたいなことを答えたと思う
実際そうだったし
そのあとは当たり障りない会話をしながら嫁をアパートまで送ってさよならした
それから嫁とも普通に会話できるようになっていた
それに嫁は弁当を作ってきてくれるようになった
最初は断っていたのだが、受けとるだけ受け取ってほしい、捨ててくれてもかまわないと渡されたので、断るに断れなかった
ただ誰に対してもだが恋愛感情は皆無でバイトと勉強と家事が忙しく、精神的に余裕がなかった
たまの飲み会を息抜きにしていた
嫁の弁当も罪悪感からだと思っていた
大学1年目の終わり頃、祖母の体調が悪くなり入院することになった
母の金も無くなりはじめたのでバイトを増やし、大学にバイトに病院と本当に忙しくなった
サークルメンバーは俺を心配してくれ、勉強面でのサポートをしてくれていてすごく助かっていたのだが、その中でも嫁には本当に助けられていた
祖母のお見舞いに付き添って来てくれることもあり、気づけば嫁一人でお見舞いに行ってくれるようになった
祖母は俺に友達ができたことにすごく嬉しそうにしていた
(この時点でも俺にとって嫁はただの友達)
955: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/22(水) 01:27:14.16
俺は忙しい中でも未来に向かっていく友達に感化され自分の将来を考えるようになった
俺にとって人生はそんなに楽しいものではなく祖母だけが生き甲斐だったことに気付き、祖母が死ねば自分の葬式代を稼ぎ終わったら死のうと漠然と考えていた
祖母のお見舞いからの帰り、いつも通りアパートへ送っていると嫁から告白された
今さらで申し訳ないこと、あれだけのことをして嫌われても仕方ないこと、付き合いたいとはおこがましくて思っておらず、ただただ好きなこと、力になりたいこと、俺が幸せになるための手助けをさせてほしいこと、など話された
正直俺は申し訳なかった
小、中学校時代にされたこと自体は気にしてなかったが、あれ以来恋愛する気は起きず誰かを好きになれそうになかったし、自分が生きるのに必死な俺を好きになってくれたところで嫁に何かをしてやれる範囲が周りに比べて小さいことは明白だった
その好きだという気持ちも、それは勘違いで真のところは罪悪感ではないのかと
そのことを嫁に伝え俺のことはやめとくように言ったが
「そう言うと思った。でも好きな気持ちが薄れそうにない。私にしてほしいことがあったり、うざかったりしたら教えてね」と笑っていた
それから祖母が亡くなり学校とバイトに明け暮れた
先輩からたまに「ノート写させろ」と心配してくれる連絡が来ていたが飲み会には参加しなくなった
嫁は毎日弁当を作ってくれ一緒に食べていたが、嫁の話に相槌を打つぐらいでまともに話もしていなかった
自分の葬式代を稼ぐために生きていた
大学も3年目になり就職活動が始まったが全然決まらなかった
嫁は俺をイジメていた頃、顔につけた傷が原因で俺の就職が決まらないのではと自分のしてきたことを責めていたらしい
俺にとって人生はそんなに楽しいものではなく祖母だけが生き甲斐だったことに気付き、祖母が死ねば自分の葬式代を稼ぎ終わったら死のうと漠然と考えていた
祖母のお見舞いからの帰り、いつも通りアパートへ送っていると嫁から告白された
今さらで申し訳ないこと、あれだけのことをして嫌われても仕方ないこと、付き合いたいとはおこがましくて思っておらず、ただただ好きなこと、力になりたいこと、俺が幸せになるための手助けをさせてほしいこと、など話された
正直俺は申し訳なかった
小、中学校時代にされたこと自体は気にしてなかったが、あれ以来恋愛する気は起きず誰かを好きになれそうになかったし、自分が生きるのに必死な俺を好きになってくれたところで嫁に何かをしてやれる範囲が周りに比べて小さいことは明白だった
その好きだという気持ちも、それは勘違いで真のところは罪悪感ではないのかと
そのことを嫁に伝え俺のことはやめとくように言ったが
「そう言うと思った。でも好きな気持ちが薄れそうにない。私にしてほしいことがあったり、うざかったりしたら教えてね」と笑っていた
それから祖母が亡くなり学校とバイトに明け暮れた
先輩からたまに「ノート写させろ」と心配してくれる連絡が来ていたが飲み会には参加しなくなった
嫁は毎日弁当を作ってくれ一緒に食べていたが、嫁の話に相槌を打つぐらいでまともに話もしていなかった
自分の葬式代を稼ぐために生きていた
大学も3年目になり就職活動が始まったが全然決まらなかった
嫁は俺をイジメていた頃、顔につけた傷が原因で俺の就職が決まらないのではと自分のしてきたことを責めていたらしい
956: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/22(水) 01:28:14.80
正社員は諦め派遣にでもしようかと思っていた頃、嫁に養わせてくれとプロポーズめいたことをされた
その時に俺は正直に話した
生きてる理由がないこと、葬式代を稼いだらひっそり死ぬつもりだということ、もう関わらなくていいこと、罪悪感も感じる必要はないこと、俺のことは忘れていいこと
嫁は号泣
「あなたのしたいことは何でもさせてあげたい。でも、死ぬのだけは絶対に嫌だ。あなたの飛び降りる姿はもう二度と見たくない。絶対に幸せにしてみせるからもう少しだけ私に時間をください」
と土下座された
大学卒業から二年間俺はバイトをしながら嫁の金でいろいろ遊ぶことになった
学校行事ではない旅行に始めて行ったりした
世界の広さが実感できた
今は共働きで休日はプチ旅行する仲良し夫婦をやってる
賛否両論あると思うが、こんなどうしようもない俺を支え続けてくれた嫁には本当に感謝してる
自分の居場所に誰かがいることが幸せだ
イジメのフラッシュバックや、俺の不妊の発覚など散々迷惑をかけてきた分と、うまい飯やかわいい笑顔の分の幸せを嫁に返してやれるようあと50年は生きてやる
その時に俺は正直に話した
生きてる理由がないこと、葬式代を稼いだらひっそり死ぬつもりだということ、もう関わらなくていいこと、罪悪感も感じる必要はないこと、俺のことは忘れていいこと
嫁は号泣
「あなたのしたいことは何でもさせてあげたい。でも、死ぬのだけは絶対に嫌だ。あなたの飛び降りる姿はもう二度と見たくない。絶対に幸せにしてみせるからもう少しだけ私に時間をください」
と土下座された
大学卒業から二年間俺はバイトをしながら嫁の金でいろいろ遊ぶことになった
学校行事ではない旅行に始めて行ったりした
世界の広さが実感できた
今は共働きで休日はプチ旅行する仲良し夫婦をやってる
賛否両論あると思うが、こんなどうしようもない俺を支え続けてくれた嫁には本当に感謝してる
自分の居場所に誰かがいることが幸せだ
イジメのフラッシュバックや、俺の不妊の発覚など散々迷惑をかけてきた分と、うまい飯やかわいい笑顔の分の幸せを嫁に返してやれるようあと50年は生きてやる
957: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/22(水) 01:32:17.85
彼氏との行為を見せられたって…ェ…嫁もよく見せたもんだな
958: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/22(水) 01:36:51.14
>>957
あの頃は嫁もその元彼もDQNだったからな
元彼の後輩に押さえつけられながら見させられたわ
あの頃は嫁もその元彼もDQNだったからな
元彼の後輩に押さえつけられながら見させられたわ
959: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/22(水) 01:42:06.55
>>958それは学校で見せられたの?
引用元:https://www.2ch.sc/
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